財津の成長記録

最弱な財津が日々強くなっていく物語

黒歴史が辛くなくなる方法

 ふと自分の黒歴史を思い出して呻くことがある。何であんなことをしたのだろうかと自分をぶん殴りたくなる。しかもこれは止めようと思って止められるものではないため、あーーーーと呻いて脳内の思い出と副音声を搔き消している。これは非常に困る。傍から見ればめちゃくちゃやばい奴だ。しかも冷や汗かいてるし。

 だが先日、私はその現象の対処法を編み出すことができた。あくまでこれは私自身の体験に基づくものだから万人に効果があるかは分からない。ただ、自分でやってみたところ思い出をフラッシュバックする頻度が減って、思い出しても辛くなくなったのでシェアさせていただきたい。…とその前に、私が忘れたくてもなかなか忘れられなかった思い出(黒歴史)を供養がてら語っていきたい。

 

◎財津の黒歴史早見表◎

 小3 自分のことを本気で超可愛いと信じ込んでいて自分は可愛いと言いまくり、友人をブスだとけなす

 小6 気になる異性に振り向いて欲しくてちょっかいをかけたり、逆に嫌いだと言って陰口を叩き、振り向いてくれるどころか嫌われた

 中2 陰キャなのに生徒会に立候補して、その時に替え歌を作り全校生徒に無理やり歌わせたが落選/自分も大して勉強ができるわけではないのに勉強ができない人や不真面目な人をバカにして嫌われる

 高1 クラスに馴染めない理由をラインでクラスの女子グルにノートで投稿した/体育祭の時に仲の良い友達が全員実行委員でいなくなり、クラスのど真ん中でぼっち飯をキメる

 高2 部活のクリスマス会に眉毛や前髪などは勿論メイクもせずに参加、周りはメイクの話で大盛り上がりで完全アウェー

 大1 小6から学ばず気になる異性にちょっかいをかけバカ嫌われる、以降険悪

 大2 好きなバンドのギターにガチ恋、インライできて調子に乗って一生ストーリーメンション、ストーリーに反応、コメントや出待ちをしまくり干される

 

 ・・・思い出すだけで頭が痛くなってきた。大学3年以降はある程度処世術が身に付いて奇行をすることはなくなった。と思いたい。これまでの私プライド鬼高いし精神年齢が幼過ぎるし身の程を弁えてなさすぎだし自分のことしか考えられてないし、まじで人生イタいことしかしてないんじゃねえかレベルできつい。今までこんなのが放流されてたと思うとぞっとする。すべてが黒歴史確定案件。

 ただ、こうは言っているが黒歴史をなかなか忘れられないことって大事だと言いたい。だって忘れたらまた繰り返しちゃうもん。無自覚のイタい人間が出来上がってしまう。人間は失敗を繰り返さないために、教訓も兼ねて黒歴史を覚え続けているのではなかろうか。しかしそれが何の予兆もなく思い出され、毎回それに苦しみ続けなければならないのは御免被りたい。そこで私が考えたのは、黒歴史を作った自分と今の自分は全くの別人であると思い込む、そして黒歴史のその後を想像で謝罪して変える、という方法だ。ネーミングセンスが皆無すぎんか。以下解説していきたい。

 黒歴史を作った自分と今の自分は全くの別人であると思い込む

 これは読んで字のごとく、だ。やらかしたのは自分だけど自分じゃない。「あー、あの頃の自分イタすぎだよねw」と今の自分とは違う人間、無関係の赤の他人のように振舞う。未熟だった自分がやったことの責任を成熟した今でもずっと負わなければいけないなんてことはない。人は誰もが失敗するし、それを誰かが許してこの世は回っている。前の自分と今の自分は多少なりとも違う人間なのだから、違う人間の責任まで取らなくて良いと考えている。ただそこに「真摯な反省」、これさえあれば良いと思っている。反省ができる=前の自分の振る舞いがおかしかったことを客観視できている、ということだから、その時点で前の自分とは別人だ。今でも自分がイタいことをしたイタい人間だと思う、もしくは思われていると思うからきつい。自分がちゃんと反省して別人になっていれば問題ない。そしてそれを自分自身が認めてあげる。それでもまだ辛く思う人は次の方法を試してほしい。というか私はこれでもまだ少し辛かった。第一段階という風に考えてもらえればと思う。

 黒歴史のその後を想像で謝罪して変える

 起きてしまったことを変えることはできない。ただその後を変えることはできる。だから自分の中でその後を作ってしまう。黒歴史で苦しむということは、大体がその自分の行為について周りからバカにされただとか、冷ややかな目で見られただとか、何らかの外的要因があり、大きなくくりで言うと黒歴史人に迷惑をかけた事実だと私は考えている。実際私はそうだった(本当に大きく捉えているので、例えばオタクをバカにされた=オタクという存在がそのバカにした人にとって迷惑だった、みたいな感じに捉えている。ただこれはその存在が迷惑だという話ではなく、その過去を黒歴史だと思っている人がフラッシュバックをなくしたい、黒歴史を消したい時に用いてほしい捉え方であるということをここで断っておく)。

 高1の黒歴史を例にとると、まず相手を脳内で召喚する。相手は私が話し終えるまで何も話さないことにする。そして謝罪をする。人見知りでクラスに馴染めなかったのに、何か変な理由つけてわざわざクラスラインに投稿してかまってちゃんしてごめんなさい。今の自分だったらちゃんと皆と話せると思う。そして相手には無条件に許してもらって和解する。そうすると自分の中のわだかまり黒歴史がかなり薄まる。また想像で一回練習をしたからリアルで会ってもちゃんと伝えられるようになる。本当はちゃんと対面で伝えるのが一番なんだろうが、黒歴史中の相手なんて会いたくないし、会えなくなっていることもある。自分の中で抱えている辛い思い出を無理やり自分の中だけで解決したことにするだけでも心は晴れやかになる。一度試してほしい。そして本人に会える機会があれば伝えたらいい。こんなことを言うと元も子もないが、人の黒歴史なんて誰も覚えてないし。

 と長々と書き連ねてきたが、実際私はこの方法で黒歴史を辛い思い出からただの教訓に変えることができた。うわー--自分やばすぎ無理思い出したくないで片付けてしまうのではなくて、その辛い気持ちだけを昇華させて、黒歴史の中の行為に対してだけ今後こういうことはやめようと焦点を当てられたらこちらのものだ。もし、私と同じように、黒歴史のみならず、忘れたいことをなかなか忘れられないという方がいたら、ぜひこの方法を試してみてほしい。きっと心が軽くなると思う。知らんけど。

継続は力なり

 さてこれから記事を書きたいのだが、何しろ私には特段優れた経験がない。が、ないなりに振り絞ってみる。昨日一昨日書いた記事の中でゲームをしていると述べた。今回はいわゆるソシャゲにはまっていた、いやはまっている私の話をしようと思う。

 振り返ればどこまででも戻れそうなのだが、私は中高と吹奏楽部に所属していた。その影響か、初めてスマートフォンを買い与えてもらった中学卒業後の私は、リズムに乗りながらプレイできる音ゲーに魅力を感じていた。その当時はちょうどラブライブ!全盛期で、 μ's(ミューズ)と呼ばれる二次元のアイドルユニットの成長を音ゲー要素を交えて楽しんでいた。画面上に次々と降り注いでくるたくさんのノーツを10本の指で一生懸命に追っていた。ただ、春休みが終わり高校生になると一気に忙しくなり、高校一年生の五月にはアンインストールした。

 そして一気に飛んで大学三年生。コロナ禍で例年以上にスマートフォンの使用時間が増えた。暇だから広告で見たクソゲーや友達からおすすめされたゲームをやっていた。そんな中、ふと何かのサイトの広告でボーカロイド音ゲーがあると知った。どうやらボーカロイド曲を原曲でプレイできるという。中学時代をボカロと過ごした私は気になってそこからインストールページに飛んだ。「プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat.初音ミク(プロセカ)」。一回ダウンロードしてみたが、どうやらミクちゃんをはじめとしたバーチャルシンガーだけではなくオリジナルキャラクターたちもいて、というかそちらが主役でストーリーが進んでいくものらしい。中学生時代に好きだった弱音ハクちゃんはそこにはいなかった。オリジナルキャラクターたちの名前が覚えられずにすぐアンインストールした。

 しかし同年11月、ネット上で知り合った友達が口をそろえてプロセカはいいぞと言っているのを見て、再度ダウンロードした。頑張ってオリジナルキャラクター達の名前を覚えて、いざ尋常に勝負。するとどうだろう。ノーツは大きく、それもフリックやロングノーツ等シンプルな作りになっている。判定も少し甘く、またカットイン演出が邪魔にならない。ボカロ曲をカバーだけではなく原曲でも遊べる。スタミナを消費せずともプレイできる。その曲も最近のものだけでなく、私世代の曲も多く収録されていた。

 めっちゃ楽しいじゃん!

 それからというもの、私は毎日コツコツとプロセカをプレイし続けた。移動中も遊びたくて、親指でのプレイにした。どれほど疲れていても、一日一回のチャレンジライブはできるだけやった(チャレンジライブをすると私はその流れで大体小一時間プレイすることになる)。難易度は全部で五つあり、簡単な順からEasy、Normal、Hard、Expert、Masterがあり、はじめはHardでも指が追い付かなかったのに、今ではMasterをなんとかプレイできるようになり、皆伝ランク5(難易度Masterで70曲クリアすると貰える称号)にまで達した。伝わる人向けに具体的に言うと、私のレベルは初音天地開闢神話のExpertをフルコンボでクリアできるくらい(初音ミクの消失はまだフルコンできていない)。しかしまだ真皆伝(難易度MasterをAll Perfect=APでクリアすることが条件)は一つも入手しておらず、この前やっと二曲APできたところだし、それに残りのMasterはまだフルコンできていない。次の皆伝を目指してYouTubeでプレイ動画を見漁っている日々だ。

 …とここでふと思った。これって、継続は力なりじゃない?親指では初めての音ゲーの腕(指?)が一年でここまで成長している。本当はダイエットとか資格試験とかインターンとか、もっと努力が努力として認められるような事柄で言うべき言葉なのだろうが、頑としてここで言わせてもらう。継続は力なりじゃない?ゲームといえど私はこの一年間、プレイ時間にバラつきはあるがほぼ毎日プロセカをプレイしてきた。はじめはExpertなんてすぐゲームオーバーになっていたのに、今はcosMo(暴走P)さんの楽曲以外は難なくフルコンでき、Masterをプレイできるようになっている。振り返ってみた時、改めて成長を実感できた。

 これは他の事柄でも同じだ。勉強だってスポーツだって何だって、皆継続すればある程度上達できるし結果も出る。ただ何故成功しないのか。それは継続ができないから。継続にはすごく労力が要る。今回私は好きな音ゲーだから上達できたわけで、例えば物理の勉強であればそれは難しいだろう。だから好きこそ物の上手なれ、なんて言葉があるわけで、対象の継続に苦痛が伴えば上達は難しい。そこを自分に鞭を打ち、一日少しでも継続できる人のみが結果、ひいては成功を掴み取ることができるのだ。

 自分自身に甘いのだ。

 きついことはやりたくない、けど成功したいし好きなことを好きな時だけやっていたい。それを叶えてくれるような虫のいい話なんてこの世にはない。お手軽に成功が手に入るほど現実は甘くない。今回さらっと自分がはまったゲームについて紹介するだけにしようとしたが、書き進めていくうちに自戒を込めたメッセージを残したくなった。最弱な自分を卒業するには必要な気がするから。今まで努力が成功に結び付いた体験がなかった私にとって、この一年間の成長(一種の成功としたい)は自分自身の気づきとなった。継続は力なり。ただ苦手な分野でも継続をしていくことも重要だ。例えば私にとって運動や勉強はきつく、もって二週間くらいしか継続ができない経験がほとんどだった。しかし、私はもう最弱を卒業すると決めた。今までの自分と別れを告げるためには変わること、具体的には今までできなかった(自分の意志でやめた)ことの継続が必要だと感じている。途中で面倒くさいと思って中断したことを続けること。そこに成長のヒントは隠されているはずだ。少しずつでいいから何事も継続をしていきたい。

 ちなみにプロセカのプレイと課金は継続できている。今回の悪ノシリーズコラボは世代もあって個人的にアツい。KAITOMEIKOは幸運にも手に入れられたので、リン、レン、ルカもゲットできるといいなあ。

最弱卒業宣言

 大学4年生が終わろうとしている。

 内定も貰えたし、卒論もある程度形になってきた。バイトをして貯めた日銭は、洋服やゲーム、人とのご飯代に消えてゆく。SNSを見て日々を過ごし、YouTubeではひろゆき岡田斗司夫の切り抜きを見て賢くなった気でいる。アイドルや芸能人の外見を見ては溜め息を洩らし、学生料金のAmazon prime videoでアニメやドラマをただ視聴する。行ったライブで感動し、次の日からは頑張ろうと来る日も来る日も思い続ける。友達とは最近の恋愛、可愛いカフェ、ファッション、美容、推しの話に花を咲かせる。こんな毎日も悪くない。体力を温存しながら娯楽を消費して、何事も平穏に、当たり障りのない一日を、当たり障りのない対応で過ごしていく。自分にとって都合が悪かったり難しいものには目を瞑る。自分の好きなものにだけ目を向ける。それなりに楽しめている。いつしか自分の頭で考えることをやめ、流されるままにただ生きている。

 本当にそれでいいのか?

 思い返せばコロナ禍になって全てにおいて消極的になってしまっていた。また、今年に入って自分自身もバイト先で感染してしまった。しかしもう光が見えつつある現状で、私は未だに2020年の4月を引きずり、そしてこれからも繰り返していくのだろうか。何事にも本気にならず、他責にして日々をのうのうと生きていくのだろうか。誰かが作り上げたコンテンツの上で日々を過ごし、誰かを批評する側で終わるのか。

 それって、怖くない?

 やりたいことも将来の夢もあったはずなのにいつの間にか忘れている。やる気と情熱に満ち溢れた20代であるべきが、自堕落な20代になっている。貴重な若い時間を何かの消費で終わらせている。そのことに気がついた時、私は末恐ろしくなった。22歳の12月、社会人になるまで半年をゆうに切っていた。

 このまま終わるわけにはいかない、と漠然と思った。ただ、自分が何を成し遂げたいのかが明確に定まっていない。しかしこのままでいるわけにはいかない。一度きりの人生をなあなあで終わらせたくない。悔いが残らず自分自身で100点満点をつけられる人生にしたい。だからまずはリハビリがてら、自分が好きな文章を書くことから始めたい、と今回このブログの開設に至った。しかしこの大学生活ではちっとも精力的な活動はしていない。頑張って探しても地元企業のインターンに行った、くらいしかない。大学生活前半は自分の歪みと戦い、後半は自分と向き合って、その後前述の通り遊んでいた。ブログに記せるほど、誰かの役に立つ情報や考えをもっているわけでも特段素晴らしい経験をしているわけでもない。ただ一歩を踏み出したいという思いがある、それだけだ。それでも前に進みたい。

 このブログでは、私が日々考えたこと、今まで経験してきたことを、周りの大学生よりかなりしょうもないかもしれないが発信していきたい。自分のために文章にしていきたいと思っている。そして今、私は何も持っていない。何も知らない。攻撃力も防御力もない、いわば最弱の状態なわけだ。だから、そんな自分もこのブログを通して変えていきたい。一日五分でいいから読書をしたりニュースを見たり、何でもいい。昨日の自分より強く、を自分との約束にして、少しずつ成長していきたい。

 今日から一生を終えるまで、私は私を日ごとに超えてゆく。そう誓いを立てて今回は終わりにしようと思う。